「日本の教育」識者の見解(7)

「上意下達」の教育行政、現場教師に権限与えよ

「学校の指導要領も早く改訂して、評価や予算について現場に創意工夫をさせるようにして欲しい」と、前回、陰山校長も語っていましたが、文部科学省の相も変わらぬ上意下達、中央集権型の教育行政に対する反発と、是正を求める声は、地方の教育現場に根強くあります。
大杉稔教諭(滋賀県高島市立今津東小学校・日本教育方法学会会員)は、“現場の意欲そぐ国の教育方針”を指摘します(2月26日、朝日新聞「私の視点・ウイークエンド」)。

「振り子」に例えられる国の教育行政

大杉教諭は、国の教育行政の揺れは繰り返され、批判的意味合いからも「振り子」に例えられてきたが、中山文科相発言もその典型、と見ます。知識注入型批判から、総合学習で「生きる力」が強調されました。すると今度「学力低下」が言われれば、基礎教科の重視に変わる、というようにです。

総合学習「3時間の活用権」教育現場にまかせよ

子どもたちに人間らしい学びを失わせてはならない

だが、大杉教諭が言うのは、総合学習を死守しようというより、残すかやめるかを国が一律に決めるのではなく、教育現場で子どもたちを見つめている教師に任せて欲しい、というのです。
「『世界トップレベルの学力』という、ある種甘美で、人心高揚的な言葉に惑わされ、単純に、振り子を戻して、日本の子どもたちから人間らしい学びを失わせてはならない。そのためには、学校現場が『3時間の活用権』を持つことがどうしても必要である。現場を預かる私たちに元気を出させるような学校の再生なくして真の学力向上はあり得ない」と、大杉教諭。

お上意識の教育行政、現場の「指導欲低下」きたす

国の教育行政の問題は、一番大事なことを決める権限が、現場の教師に与えられていないことで、『お上』の決定を待つよりほかなく、それでは教師の意欲もなえてしまう、というのです。だから、本当に怖いのは「学力低下」ではなく、「学欲低下」で、原因の一つに教員の「指導欲低下」もあるのでは、と心配します。

「学力テスト」復活を疑問視・刈谷剛彦教授

刈谷剛彦東京大学大学院教授も、「問題や分析に地方の声を」(04年12月18日、朝日新聞「私の視点・ウイークエンド」)で、学力テスト復活に疑問を投げかけています。
刈谷教授は、40年余り前にあった、中学生を対象にした学力テストが、県同士の競争や日教組の反対闘争など「負の遺産」生んだこと。にもかかわらず、学力低下批判を受けたら、再び学力テストに取り組むというのです。しかもできるだけ多くの子を対象にしようという考え方を疑問視します。そして「問題にしなければならないのは、何のためのテストかだ。教育政策を検証するためか、子どもの学習改善のためかでは、調査の方法や内容、実施主体も変わってくる」といいます。

文科省の指示でがんじがらめ予算の裁量もない教育現場

中山文科相の狙いは、競争を通じた教育の質の向上にあるらしいが、教育改善をするにしても、教科書は検定で縛られ、授業時間も決められ、管理職の在任期間は平均3年未満。しかも予算の裁量もほとんどないなかで、現場の学校でやれることは限られたものでしかなく、せいぜい点取り競争くらいになるだけ、と刈谷教授。

中央集権型から地方分権型テストの提案

また、「テストの目的は『競争意識の涵養』ではなく、施策の検証を先行すべきだ」というのです。
そして、「地方分権型」のテストを提案し、「上意下達の『中央集権型』テストを変え、地方から教育を変えていく能力を高める」必要あると、指摘しています。

中教審答申「国庫負担の維持」を明記

ところで、10月12日、中央教育審議会の特別部会は、「国庫負担の維持」を明記した答申案をまとめました。知事会などが三位一体改革の一環として、国庫負担金のうち、中学校分8500億円を地方に移すよう要求していましたが、文部科学省自民党文教族はそれに反発していました。
そして今回の答申案では、国が関与した方が財源確保に有利、などを理由に制度維持を明記、地方が求める「教育の地方分権」は、学校や市町村の裁量と自由度の拡大で実現できる」(13日、毎日新聞)と、結論づけています。
今までみてきた地方の教育関係者の声や願いは、またまた置き去りの危機におかれているように思えてなりません。

発揮されるか首相のリーダーシップ・決断力

しかし、小泉首相は、「地方案を真摯に受け止めるという政府の方針もある。これを踏まえて対応できるよう検討してほしい」と、中山文科相に地方への税源委譲を指示(13日、毎日新聞)した、といいます。しかし、中教審が首相の意向を拒否したともとれる今回の答申案に対して、郵政改革で示したように、小泉首相のリーダーシップと、決断力が、ここでも発揮されるのでしょうか。教育行政は重大な岐路にあるといえましょう。