未来への希望を抱いて(71)

私たち国民の責務【その26】

市民による「互助・互恵の輪を広げて……⑥」
映画「ロベレ将軍」と「不作為の責任」
何もしないことが身の破滅を選びとった

政治学者、丸山眞男さんの著書『現代政治の思想と行動』(未来社)の第3部「『政治的なるもの』とその限界」の中で書かれた『不作為の責任』からの引用です。
「ここ(映画の中)には私の先ほどから話していた問題の核心が、非常に短いが鋭い形で触れられていると思います。つまりそれは不作為の責任という問題です。しないことがやはり現実を一定の方向に動かす意味をもつ。不作為によってその男はある方向を排して他の方向を選びとったのです」
という「ここ」、すなわち「映画の中」ですが、『ロベレ将軍』というイタリア映画を指しています。その映画は、第2次大戦中のドイツ軍の占領下のイタリアを背景に、抵抗運動をエピソードにした映画だそうです。
その映画で、丸山さんは「私がそのなかでとくに印象づけられた場面の一つとして、刑務所のなかの場面があります。そこでは戦争中闇商売をやっていた男が、抵抗運動者やユダヤ人といっしょにつかまって、今やまさに処刑されようとしている。死刑になるか強制労働にやらされるか、あるいはドイツに送られるかという瀬戸際のところであります」という場面で、その男と囚人たちの会話が、丸山さんの語ろうとする話の本題になるのです。
「その闇商売をやっていた男は恨めしそうに、同室の囚人たちに対して、さかんにこういうわけです。自分は何もしなかったのにこういう目にあった。ユダヤ人でもない、抵抗運動もしたことはない、それなのにこんなひどい目にあういわれはない、私は何もしなかった、何もしなかったと、ヒステリックに叫びます。それに対して元銀行員であったところのレジスタンスの指導者が静かにこういいます。『私はあなたのいうことを信ずる。しかしまさに何もしなかったということがあなたの罪なのだ。なぜあなたは何もしなかったのか。五年も前から戦争が行われている。そのなかであなたは何もしなかったのです』。これに対してその男が『それじゃあなたは何をしたのですか』と聞くと、そのファブリチオという抵抗者は、『私はとるに足らない仕事をしました。ただ義務を果そうと思っただけです。もしみんながそれぞれ義務を果していたならば、たぶんわれわれはこんな目にあうことはなかったでしょう』ということを語ります」と。
ここのところが、冒頭の「しないことがやはり現実を一定の方向に動かす意味をもつ。不作為によってその男はある方向を排して他の方向を選びとったのです」というように、何もしないことがそのような過酷な政治や社会を生み出すことに(知らない間に)手を貸してきた、ということになるのでしょう。

ささいな事も傍観すると大きな悲劇生み出す

そして「(丸山さんは)ついでながら私がこのやりとりに感銘しましたのは、銀行員あがりの抵抗者が、自分の命がけの行動について、何らヒロイックな陶酔に陥っていないで、自分はじつにつまらないことをしただけのことだ、平凡人が平凡な社会的義務を遂行したにすぎない、といっていることです」と続けます。
今日では、当時の映画の背景といい苛烈な環境といい、時代も違うしかつての異常な状況とは比べものになりません。しかし「今私が簡単に述べましたようなテーマは現代に生きる人々すべてに、多かれ少なかれ突きつけられている問題だと思います。ああいう文字通り毎日毎日が死に直面した抵抗運動でさえ、平凡な社会的義務の遂行であるならば、われわれがいろいろな現代の問題に対して、日々なしている決断や行動などは、その何万分の1にも当らないつまらないことです。しかもその何万分の1にも当らないつまらない社会的義務というものを、もし私たちがしないなら、その不作為の結果が積り積ったところでは、やはりあの映画に劣らないところの悲劇が生れて来ないとは必ずしもいえないのじゃないかと思います」と、丸山さんは警鐘を鳴らすのです。

見過ごせない国民生活に支障ある問題が山積

それを卑近な例で当てはめてみますと、最近、改憲問題や国民投票法案、共謀罪などが国会で審議されていますが、このような問題も国民、市民が無関心でいる間に、自体は大きくすすんで、気づいたときにはもう後の祭り、という段階にいつ到達するかもわかりません。
そして問題は、ありふれたことのように見える問題も、同様なことが言えるでしょう。たとえば、今日すすむ格差社会のもとで、生活保護世帯の著しい増加や、公立の学校で給食費が払えない子どもたちが多くいたり、国民健康保険料も払えなかったり、リストラで正社員が減り、非正社員が労働者の3分のlを占め、平均月収も20万円に満たず、結婚もできない若者が多く出現している、という社会問題を自己責任というだけで片付けてしまうのは、たいへん問題だといえましょう。
また、企業のモラル低下というだけでは説明のつかない国民に不信感をもたらす事件が相次いでいます。企業の耐震性偽造事件もショックでしたし、金融関係も大手銀行の顧客への金融商品押し付け問題や、大手損害保険会社の相次ぐ保険金未払い問題、消費者金融大手の悪質な取立てによる業務停止処分、企業の粉飾決算にからむ監査法人への業務停止処分、最近、最も騒がれた証券取引法違反事件等々……、あまりの多さに、少し前のものでも忘れてしまうほどの多さです。
さらに、官製談合や相次ぐ社会保険庁の年金業務にかかわる問題、製薬会社とともに国の責任を厳しく問われた薬害C型肝炎の危険な製剤放置は、サリドマイドやエイズ、スモン、クロロキン等々と以前から多くを数え、また、水俣病や今なお拡大を続ける石綿禍、大気汚染などの公害禍と、国民無視のいつに変わらぬ後追い行政は、被害をどれだけ拡大してきたかしれません。

ひとりの力はしれていても多くの人の輪で大きな力に

そうしたことへの必要な国民の側の対応を、丸山さんは、この本で次のように言っています。「たとえば最近の請願ということにしましても、一人一人の請願などということは、なんにもならない、そんなことではとても現代の大きな政治は動かないというようなことを耳にします。なるほど請願を一人がするという、そのこと自体の比重はきわめて軽いかもしれない。しかしそんなことをしてもつまらないと考えて結局みんながなんにもしなかったら、逆にそのなんにもしなという現実がどんどん積みかさなって、それ自体社会を一定の方向に押しすすめてゆきます。(略)どんな微細なつまらないと見える事でも、できるだけ多くの人がそれをするかしないかはやがては非常に大きい違いを生んで行きます。習慣の力というものはそうしたものです」と。

政治を小さな社会的義務履行の一部と考える習慣
それが壮大なイデオロギー超えるデモクラシーの基礎に

そして、政治というものを特別視しないで、「私たちのごく平凡な毎日毎日の仕事のなかにほんの一部であっても持続的に座を占める仕事として、ごく平凡な小さな社会的義務の履行の一部として考える習慣――それがどんな壮大なイデオロギー、どんな形式的に整備された制度にもまして、デモクラシーの本当の基礎です。ギリシャの都市国家の直接民主政の伝統といったものは、あるいは私たちの国に欠けているかもしれません」といいつつ、日本独自のしきたりのなかに、優れたヒントを提示してくれます。

政治を職業、目的としない人間の政治活動こそ
デモクラシーに生き生きとした生命与える

「しかし私たちの思想的伝統には『在家仏教』という立派な考え方があります。これを翻案すればそのまま、非職業政治家の政治活動という考え方になります。政治行動というのは政治の世界に『出家』しなければできないものではありません。もし政治活動を政治家や議員のように直接政治を目的とする人間、あるいは政党のように直接政治を目的とする団体だけに限ったら、その瞬間からデモクラシーというものは死んでしまいます。ちょうど宗教が坊さんだけの事柄ということになったら、宗教の生命力が失われるのと同じです。デモクラシーの発展ということは、この観点から見ますならば、つまりそれは職業政治家によって構成されている特殊の世界、俗にいわれる政界によって政治が独占されている状態から、それがだんだん解放されてきた過程であります。(略)つまり本来政治を職業としない、また政治を目的としない人間の政治活動によってこそデモクラシーはつねに生き生きとした生命を与えられるということであります」と、いっています。

おわりに

さて、このシリーズ(といえるかどうか)をはじめる狙いを、「若者たちにいま何が……」という設定で、私の身近な範囲の新聞や図書、雑誌などを情報源に、引用などをさせてもらいながら、書き続けてきました。そして、話題を若者中心にすえていくつもりでしたが、今日の社会の諸問題に接しるうちに、社会全体にかかわる問題にと視点が広がってしまい、若者に限定できないような展開になってしまいました。しかし、未来を担う若者たちが希望の持てる社会にしていくには、世代を問わず、市民が互いに信頼し合い、連携・連帯して支え合える社会を築いていくことが、欠かせないことに気づきました。それだけに結果的にそうした問題に力点が移ってしまいました。
それというのも、今日の政治や行政のレベルでは、世代間の相互理解と連帯をうたいながら、福祉ひとつを例にとっても、少子高齢社会がすすむなかで、対策を論じ合うとき、高齢者対策や施策に多くの金がかかりすぎ、子どもたちを対象とした少子化対策にまでまわせない、というような問題設定で世代間の対立をあおるような論調が多いからです。しかし、そのような市民の対立と断絶からは、問題の解決も、希望ある未来も生れてはこないでしょう。
ところで、そうした現代の世相を知るうえで、私のような素人の1市井の人間では、自力で取材して情報を収集するなどということは、ほとんど不可能です。それだけに保存できる資料としても有効な新聞や図書、雑誌などの活字は身近で手軽に手に入るだけに、なによりの情報源として使わせてもらい、ありがたく感謝しています。
しかし、情報を選択する場合、私なりの視点が強く働いていることは否定できません。また、新聞報道にしても、新聞社の違いはもとより、同じ新聞社で同じ問題を扱う記事であっても、まるきり違う切り口で記事になっているケースも多くあることを知りました。それだけに新聞や雑誌、図書などもていねいに読み、賛同、または賛成しないなどの読者の意見をどしどしと新聞社などに指摘していく必要を感じました。なんといいましても、マスコミが世論をリードするところは大きく、それだけに読者の意見を反映したものにしていく必要を痛感した次第です。

=完=

未来への希望を抱いて(70)

私たち国民の責務【その25】

市民による「互助・互恵の輪を広げて……⑤」
「若者よ高慢たれ」と歌手・新谷のり子さん
「徒党 組まなきゃ」と歌手・小田和正さん

毎日新聞の「特集ワールド『この国はどこへ行こうとしているのか・団塊世代から』」(4月14日「夕刊とっておき」・大槻英二記者)は、「若者よ高慢たれ」の見出しで、歌手の新谷のり子さんが、また、4月28日(夕刊)の同特集(小国綾子記者)では、「徒党 組まなきゃ」の見出しで、やはり歌手の小田和正さんがそれぞれ登場しています。

「大人の価値観を壊す力 今、どうもない気がする」

新谷さんは、かつてベトナム戦争などに反対して自死した30代の女性、フランシーヌ・ルコントさんが「命がけで訴えたフランシーヌの思いを伝えたい」という思いから、反戦歌「フランシーヌの場合」でレコードデビュー。ときは「東大・安田講堂をめぐる学生と機動隊の攻防戦が繰り広げられた69年、80万枚を超える大ヒットとなった。全共闘の時代を象徴する歌の一つに刻まれた」という、反戦歌手で鳴らした方だったんですね。

若者の怒りはどんな時代でも尊く必要

その新谷さん、「当時、ベトナム反戦運動が世界で盛り上がり、若い世代が影響を受けた。『今はイラク戦争があっても、ベトナム反戦みたいにはならない。あの頃は、大人がつくった価値観に対して、ぶっ壊すんだという文化や言葉、アートが力を持っていた。そういう広がりは今、どうもないような気がする』」
そして、『かつての若者の一人として思うんです。当時の大人から見たら、私はどれぐらい高慢で、人を傷つけていたかって。でも、若者の怒りはどんな時代でも尊くて、そこから何かが生まれる。無関心が一番いけない。だから、やっぱり、若者は高慢でいい。それ、私の持論なんです。大人がつくり上げてきたものに対して、おかしいという声を上げるのは絶対必要だと思うから』と。

「いただいた命、生きて、生きて…」とステージで…

記事の終りで、「フランス全土で抗議行動(フランス政府の新雇用策を撤回に追い込んだ大規模な学生、労組のデモ)への参加者が300万人に達したと報じられた3月29日の夜、新谷さんは新宿文化センターのステージに立っていた。もちろんあの歌(フランシーヌの場合)もうたった。原曲ではフランス語のナレーションが入るが、新谷さんは日本語でメッセージを添えた。『いただいた命だよ。生きて、生きて……』」

「どんな歌を作るときも、意識したのは同級生の視線だった」

「団塊世代の旗手」として、「今なおトップアーティスト。最近のアルバム3枚は、すべてオリコンチャート1位の最年長記録を更新」したという小田和正さんは、東北大学の建築学科で学んだ時代の仲間の視線をいつも一番意識してきた、というのです。
そんな小田さんを「『初めて自分を優先させた』というアルバム『個人主義』(00年)で、同世代へのメッセージを歌った。その中の曲『the flag』(ザ・フラッグ)では、『この国のすべて』を『僕ら』が『変えてゆくんだったよね』と振り返り、『戦える僕らの武器』を見つけて『ここへ並ばないか』と呼びかけた。団塊の世代への応演歌とも言われる」と、記者は書いています。

「人とは何かすること」にこだわり始めた小田さん

そして、「今この国を思う」には、「国や国民を犠牲にし、自分たちの利益を守る人たちがいて、それを告発する人たちがいる。でも告発はいずれ沈静化し、結局何も変わらない。その繰り返し。だからマイナーチェンジを叫んでもむなしい」と。
しかしまた、「かつて偏屈だとか非社交的だとか言われた小田さんが、いつしか『人と何かすること』にこだわり始めた。私(記者)には、それが新たな『行動』に見える。元々は徒党を組むのが苦手な人だ。学科の仲間と参加したデモで『大学立法反対』のシュプレヒコールを叫んでも、労働組合の人と『安保粉砕』を一緒に叫ぶことはできなかった。深く考えずに投石することも、ノンポリを決め込むこともできず、だから、学生運動とは距離を置いていた。離れたところで一人、生き方を探した」

変えるべきは変え、生み出すために「徒党組まなきゃ」

だが、小田さんは「(70年デビューしたオフコースを)89年のオフコース解散を機に、意識して行動を変えた。『もっと人と交わろうと決めた。失うものはなかったから。年を重ねたお陰で、全部を共感できなくても、共感できる部分で折り合いを付ければいいと気付いた。妥協ではなく、折り合い。そこに訴えられるものが何か出てくれば、十分なんだ』」
そして『最近思うんだ。人には変えられるものを変えていく義務がある。そのためには人とやること。人とやれば必ず何か生み出せる。徒党を組まなきゃ』
………………………… …………………………
新谷のり子さん、小田和正さんのご両人は、ともに育った世代を強く意識し、熟年期に入った団塊の世代のお二人ですが、いつまでも輝きを失わないようです。その新谷さんは、「若者の怒りはどんな時代でも尊く、そこから何かが生まれる。無関心が一番いけない」と語り、小田さんは、「『団塊の世代の潜在的なエネルギーを集めたら大変な力になるだろう。それを束ねる役なんておれ、やる気ないけど』。それから目を閉じて少し考え、最後にこう付け加えた。『でも、誰かがやるなら…。おれは手伝うな』」と。
お二人が語る記事は、同世代へのエールであると同時に、若い人たちへの強力なメッセージでもある、と私には思えてなりません。現在、ニートやフリーターと呼ばれ、社会から疎外された多くの若者たちが、寄る辺となる組織や仲間も少なく、家庭の中でさえ孤立した中で、不遇をかこっています。しかし、そんな状況に屈せず、やがて立ち上がるときがくるのを願わずにはいられません。そしてそのときには、地域や職場で弱い立場のもの同士がともに手を携えて、社会で積極的に発言し、主張していって欲しいと思います。来るべき若者たちの世紀のために……。
それを新谷さんは「若者よ高慢たれ」と、小田さんは「『この国のすべて』を『僕ら』が『変えてゆくんだったよね』(ザ・フラッグ)」と歌い、「徒党を 組まなきゃ」と、応援しています。

未来への希望を抱いて(69)

私たち国民の責務【その24】

市民による「互助・互恵の輪を広げて……④」
国策を問う住民投票で3者の見解

「米軍基地の移転や原発の立地など、国策の是非を住民投票で問うケースが増えている」、という『国策を問う住民投票』を「論点」に、毎日新聞(5月20日)では、「主張・提言・討論の広場」(朝刊、23頁)で、新藤宗幸・千葉大教授、久間章生・自民党総務会長、伊原勝介・岩国市長の3氏の、住民投票についての考え方や意見を紹介していました。まず、3氏の要約された論点を以下に並べてみました。
・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・
*新藤宗幸・千葉大教授(行政学)

「地域から国策考える政治文化生まれた」
「間接民主制を補完するのに有効な手段」

*久間章生・自民党総務会長

「群集に任せると感情が入り冷静さ失う」
「不安や懸念は別の手段で解決すべきだ」

*井原勝介・岩国市長

「直接参画の重要さ、政治が変わる予感」
「市民は圧力に負けず明確な判断示した」

・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・

住民投票の波及は地域で政治文化の変容示す

96年に新潟県巻町(現新潟市)で日本初の条例にもとづく住民投票が行われてから10年が経つ。以後、急速に全国に波及したのは「政府自ら市町村合併特例法を改正し、地方議会が合併案件を否決した際に住民の発議による住民投票制度を定めた」こともあって、全国各地で360件を超える住民投票が行われて、常設型の同条例を制定する自治体も30を超える、と新藤さん。
だが、「住民投票のテーマが『国策』『国家的プロジェクト』にかかわるものになると、たちどころに住民投票への批判が一部の政治家、関係省庁、利益集団などから浴びせられる。巻町の原発立地の是非を問う住民投票、徳島市の吉野川第十堰の可動堰化をめぐる住民投票などは、いずれも『地元自治体に権限はない』『地域エゴ』にはじまり、さらには『衆愚政治に道を開く』といった批判にさらされて」きました。
それだけに、今春、(旧)岩国市で行われた住民投票は、米軍基地拡張という日米軍事同盟の根幹に当たる問題だけに、一部から激しい批判を受けました。しかし、新藤さんは、「住民投票の個別テーマは多様であるが、この急速な住民投票の増加は、ここ10年余にわたって地方分権改革が政治の重要なアジェンダ(議題)とされる中で、地域から政治文化の変容が起きていることの証左」とみています。
そして、「(国策・国家プロジェクトであっても、地域で)マイナスと判断するならば政府が強調する『国策』といえども、拒否の姿勢を鮮明にする。既存制度の下で地元自治体に決定権限があるか否かではなく、この地域からの政治文化の変容こそ、日本の政治システムを改革する原点として認識されるべきではないか」というわけです。

民主主義は住民投票を原則として否定している、と

反対に、久間さんは「近代国家は間接選挙を実施している。政策判断に感情を入れたらいけないのに、群集に任せると感情が入り、冷静さを失う」と、住民投票で政策判断することを批判する。そして、「日本でも住民投票という制度は①首長や地方議員のリコール②地方議会の解散③一自治体のみにかかわる特別法への賛否――以外は、各自治体の条例に基づいたもので、原則として法律上は法的効果を与えられていない。民主主義は住民投票という形を原則として否定していると思う。近代国家の国民はそれを知った上で議論をしないといけないのでは」ないか、というのです。
また、「岩国市の住民投票のような国の安全保障の問題でも、地域のゴミ焼却場建設の賛否を問うものでも、全部一緒だと思う。住民投票にするとみんな反対になる。反対をアピールする手段として使われているのではないか」と。そして、久間さんが防衛庁長官だった97年の沖縄での海上ヘリポート建設についての住民投票でも、おかしいと思ったと回顧し、「そもそも、その米軍基地が必要ないということならば、住民投票でなく、国政選挙なりで訴え、判断していくべきことだ」というのです。

「政策を直接選択する貴重な体験」「市長発議に体震え」

「3月12日、街頭演説の最中であった。米海兵隊岩国基地(山口県岩国市)への空母艦載機部隊移転を受け入れの是非を問う住民投票。成立に必要な投票率50%という高いハードルを越えた瞬間、聴衆の中から期せずしてわきあがる歓声、あのときの感動は今も忘れられない」と、岩国市長の井原さん。
そして、「これまでの人を選ぶ選挙ではなく、政策を直接選択することができる貴重な機会であり、友人の首に縄をつけ、引っ張ってでも投票に連れて行く」「住民投票実施の市長発議を聞いたときは体が震えた。日本中あまり例のない市民の意思を表現する機会を与えられたことに感動した」――と、説明会での若者の発言や、全国から多くの激励があったことを紹介しています。

最大の成果は市民の主権者意識涵養したこと
主権者として意識高い市民多数存在もわかる

「政治に直接参画することの重要性に気づき、それを喜びとする人々。そこには、主権者として目覚めた新しい『市民』がいる。選挙という間接的な手段を通じてでは十分に声が届かず、歯がゆい思いをしていた、意識の高い市民が多数存在することがよくわかる。多くの『市民』が、本来の主権者として確かな自覚を持ち、自からの行為で主体的に政治を動かすという意思を持ったこと、今回の住民投票の最大の成果であろう。大げさでも何でもなく、政治が変わる予感がする」というように、住民生活に深くかかわる自治体だけに、実際の体験に裏打ちされた言葉は、前述の久間さんとは対照的な見方、考え方で鮮明に語られています。

市民が主役の社会づくり狙いに市民団体設立の動きも

梶原拓・前知事会会長や浅野史郎・前宮城県知事らは、市民の政治参加を広く促す団体「日本市民会議」を設立すると、5日、都内で記者会見し発表(6日、毎日新聞)したそうです。「市民が主役の社会づくり」をスローガンに、次期首相候補にマニフェスト(政権公約)の公表などを求めたり、インターネットや集会を通して市民団体同士の連携を強め、市民の政治への影響力を高めるのが狙いだそうです。
わが国でも、 住民投票とともに、市民の政治への参加を促すいろんな仕組みが考え出されて力を合わせ、自治や国政に影響を及ぼすようになったとき、日本の社会にも「本物の民主主義」が育っていくのではないでしょうか。

未来への希望を抱いて(68)

私たち国民の責務【その23】

市民による「互助・互恵の輪を広げて……③」
「“野党”よ 永遠なれ」と浜 矩子さん

毎日新聞(5月7日)「時代の風」で、浜 矩子さん(同志社大学教授)が、「グローバル化と体制翼賛」「『野党』よ 永遠なれ」の見出しで、書かれていました。
まず、昨秋のドイツの総選挙と、4月のイタリアの総選挙の結果からいずれも勝者敗者が拮抗し、ドイツは与野党で大連立政権が誕生。イタリアではそこまでいかなかったものの、混迷を深めいっそのこと大連立を、と模索する声まで、識者やメデアの中から出たほどだといいます。
「世は次第に大連立を是とする方向に流れているようにみえる。日本の場合には、与野党いずれもそれぞれが既にして内なる大連立のようなものである。こうして政治の相対的なグレーゾーン化が進むのはなぜなのか」と。

野党的なものが存在しない日本の不気味さ
野党が荒野に叫ぶ「王様は裸だ」の声こそ必要

そして、「大連立と翼賛政治とが同じものだと考えるのは乱暴過ぎるだろう。だが、野党的なものが存在しない社会は不気味だ。野党的存在とはなにか。それは荒れ野に叫ぶ声だ。その声は何を叫ぶか。それは「王様は裸だ」ということだ。王様が裸であることを指摘するものがいなくなり、大連立の中で、誰もが必死で裸の王様がまとう衣のいつわりや華やかさを喧伝するようになっていいのか。こんな安直なやり方が、グローバル時代という新しい環境への解答なのか」と、言うのです。
確かに日本の国会では、昨年9月の総選挙で巨大与党が出現し、野党第一党の民主党も、与党と政策の上で大きな違いはありそうには思えません。むしろ「小泉改革」で「改革の本丸」と位置づけた「郵政民営化法案」をめぐる自民党内の対立の方が、熾烈を極めたのは周知の通りです。

共謀罪民主案丸のみしようとした自民の奇怪

ところで、前回は、結局今国会での成立は見送られたものの、市民の側からみた「共謀罪」成立の場合の危惧を紹介しましたが、ここでは、国会の場における、昨今の「共謀罪」新設の組織犯罪処罰法改正案をめぐる自民党など与党の奇怪な動きをとり上げてみたいと思います。それは、今国会成立を目指す与党・自民党は、民主党案を「丸のみ」しようと、したからです。
毎日新聞(6月2日)によれば、「5年をこえる懲役・禁固の国際犯罪に限定」という民主党案に、それでは「国際組織犯罪防止条約に違反する」と政府・与党は反論してきたからです。そして、識者の言葉を次のように伝えています。

民主党修正案でいいなら国会の政府答弁は虚偽答弁

「『民主党の修正案でいいというなら、これまでの政府答弁は虚偽答弁だったことになる。その政治責任をはっきりさせるべきだ』と批判する。さらに政府・与党が海外の事例をほとんど調べてこなかった点にふれ『国民の権利に影響し、刑法の体系を根本的に転換する法案であり、成立を急ぐのは間違っている』」と、日弁連国際立法対策委員会の海渡雄一副委員長。

与党の丸のみは共謀罪がどうにでも使えることの暴露

「与党が突然丸のみすること自体、権力側が共謀罪をどうにでも使えるという本質を表している。国際犯罪に絞っても、国際的に活動するNPOやNGOは多く、活動はやりにくい。廃案を求めたい」と、NPO法人グリーンピース・ジャパンの星川敦事務局長。

対象罪種300種は広すぎると民主党案も批判

「対象となる罪種は300にも上がり、広すぎる。共謀罪は、殺人や爆発物取締法など一般市民とかかわりの低い罪種に限定すべきだ。国際組織犯罪防止条約に加わるかも含めて見直したらいい。急いで成立させるほどの切羽詰った状況に日本があるとは思えない」と、民主党案に批判的な元東京地検公安部検事の落合洋司弁護士。

国民投票法案の多くは民主と一致と自民憲法調査会長

また、改憲やその場合の改正手続きを定める国民投票法にしても、政府・与党と野党の民主党がともに同じようなスタンスをとっており、生活者である市民の目からみて、民主党が最大野党としての特色や、存在感を示しているとは思えません。
毎日新聞・6月2日の報道によれば、与党と民主党がそれぞれ提出した国民投票法案は、6月1日、衆院本会議で審議に入ったもようですが、民主党が早期の修正協議には応じない方針のため、成立の見通しは立っていない、ということです。しかし、「自民党の保岡興治元法相(党憲法調査会顧問)は、趣旨説明で「幅広い会派間の合意で成立させたい」と強調し、民主党の枝野幸男憲法調査会長も歩調を合わせた」と言いますし、また、「両案の相違点をめぐっては、この日も議論はすれ違いに終わり、共同修正へのハードルはなお高いまま。(だが)自民党の船田元・憲法調査会長は「(両案の)ほとんどの部分で一致している」と、(成立に)期待感を示したということです。

重要法案国民の側に立って熟慮されているか疑問

このような推移を知るにつけ、真に国民の側に立って熟慮したという姿勢が、共謀罪にしても改憲や国民投票法案にしてもみえてきません。いずれも国民生活に大きな影響を与えないではおかない重要法案でありながら、審議といっても本質的な部分で国会の与野党の大多数があまり変わりばえもなく、政権の座をめぐる駆け引きだけに終始しているように思えてなりません。

反対も野党の使命、火花散る舌戦こそ意思決定の活性剤

再び、浜さんの記事に戻ります。「大連立政治とは要するに密室政治だ。本来であれば与野党に分かれて論陣を張っているべきものが、閉ざされた扉の向こう側で政策方針を決めていくのである」
「荒れ野で叫ぶ声はどうしても必要だ。反対のための反対に終始する野党はよくないといわれる。建設的な対案を提示するのが今日の野党だという発想も広がっている。それもいいだろう。だが、本来であれば、反対することこそ、野党たるものの使命だ。もっともらしく提示された与党の議論に対して、徹底反対の立場からあら探しを施す。そこで飛び散る舌戦の火の粉が、人々の判断と意思決定の活性剤となるはずだ」と。

国民の側にも戦う野党育てる責務が

そこで思い出すのが、昨秋の総選挙ですね。小泉首相は、選挙の争点を「郵政民営化」一本に絞り、「郵政民営化はあらゆる改革につながる『改革の本丸』」と単純化し、同じ自民党内でも反対するものは守旧派・抵抗勢力と切って捨て、野党には対案もなくただ反対のための反対と非難し、すっかり小泉ペースに載せられてしまいました。これはやはり、浜さんが指摘するような、野党本来の姿勢に欠けるものがあったということでしょう。と同時に、生活者である国民の側にも、戦う野党を育てていくことが、民主的に政治を育て、活性化させる上で欠かせないことを知るべきでしょう。

未来への希望を抱いて(67)

私たち国民の責務【その22】

市民による「互助・互恵の輪を広げて……②」
「怒りはどこへ」…全共闘時代のノスタルジーか?

毎日新聞(5月1日)の「特集ワールド・怒りはどこへ…?」の前文で、藤原章生記者は「『フランスではこの4月、学生たちのデモが政権を揺さぶった。なのに日本人は……』。最近、こんな声を耳にする。小泉政権が『愛国心』を強いる教育基本法改正や、テロ対策を理由に徒党を阻む共謀罪の新設を進めるが、国会では大きな論争もまだない。(略)そんな時代、『国民は怒れ』という声は、全共闘時代へのノスタルジーに過ぎないのだろうか」と、問いかけていました。

これほど責任回避の時代なかったのでは
政財界ら強者は集団で、若者ら個人は砂粒化されて

その特集紙面に登場する2人のうちのひとり、内田 樹さん(神戸女学院大教授・フランス現代思想)は『これほどの責任回避の時代はなかったのでは』と憤ります。「勝ち組、負け組というが、注目すべきは『勝ち負け』ではなく『組』の方だ。小泉政権をはじめ財界、役人らの強者はみな集団に属している。自己決定の自由を譲る代わりに、リスクと責任を免れる。単独で利益追求しない代わりに、集団の利を内部で分配している」と。それに対して、
「こうした強者が『集団に属すな、個性を生かせ』と教え、まともに信じた若者たちがばらばらに砂粒化されている。彼らに組織化のノウハウはなく、ネット上に集まっても、政治的な実力はない。中国や韓国を仮想敵にしたネット右翼のショナリズムが政治党派になる可能性はない。固有名で発信することさえ嫌う人が、肉体を政治の現場に差し出すはずもないからだ」

職場も大学も意見言わず議論なく批判しても提案なし

そして「集団に属するのは時代遅れの非効率的な生き方とされた。90年代末には『自己責任』『自分探し』がスローガンとなり、晩婚化・少子化や非正規雇用に拍車をかけた。今、職場でも大学でも人が意見を言わず、議論しないのは、責任を取りたくないからだ。批判するが提案しない。要求はするが自分の仕事は増やさない。責任を引き受けることがこれほど忌避された時代はかつてなかったのではないか」と書いていました。

団塊世代と同ジュニアは安住してきたおじさんたち
日本人は元来反政府的行動しない国民では

もうひとり、『団塊ジュニアの保守傾向 自明だ』という荷宮和子さん(女子子ども文化評論家)は、「『なぜ日本人はデモをしないのか』。これは団塊と団塊ジュニアが中心となる日本の多数派の中で、安住してきたおじさんたちの発想だ。特に若い女の子の場合、(60年代生まれの)私の世代よりもはるかに保守的で、お上が決めたこの階層社会でよりリッチにと、一段上がることしか考えていない」
「日本人は元来、反政府的な行動をしない国民だと思う。全共闘運動は、単に数の多い団塊の男たちが、男の子特有の暴れたい衝動で大騒ぎしただけと私には思える」と言うのです。

先行き支配層に大多数の男と、それ以下が女の階層社会に

また、「学生時代、在日朝鮮人の友達が『おれ、朝鮮人やから子供つくらへんねん』と言ってた。それに『なんで?』って反応するような学生もいたけど、こういう無知で善良な人々が一番困る。『なぜ怒らない』と問うマスコミにも同じものを感じる」
「『格差が開く』『就職が大変だ』って騒ぐのも、大体が団塊おやじだ。でも私に言わせれば『ああ、性別だけで優遇されていた無能な男たちも、格差社会では機会均等法前の私たちみたいになるのね。ざまあみろ』って思う。でも、男女平等なんて現実にはないから、これからは支配層と大多数の男と、それ以下に扱われる女という階層に分かれていく」と、先行きはさらに悲観的です。

共謀罪新設されれば適用恐れ活動萎縮も

そんな世相の中、今国会で自民党など与党は「共謀罪」の新設をめざしたものの、どうやら成立は見送られるようです。しかし、「共謀罪」は、今後も繰り返し提案されてくるでしょう。その場合、合意しただけで罪に問える組織犯罪処罰法などの改正案をめぐり、国民の間にも「内心の自由が脅かされる」「捜査当局が乱用する恐れがある」といった危惧、不安が広がっています。それについて、櫛渕万里さん(ピースポート事務局長)は、「『共謀罪』新設に・言いたい』(毎日新聞、5月9日)で、「適用恐れ活動萎縮」の見出しのもと、「共謀罪」の問題点を以下のようにあげていました。

集団の抗議行動や不買運動が業務妨害と問われかねない

「(NGOやNPOと共謀罪に反対する共同アピールを出した理由を)民主主義の根幹である表現の自由や市民の言論の自由が脅かされるという危惧は私たちと共通するものだ。政府や企業に対して市民の立場から政策提言したり、異議を申し立てることはNGO、NPOの日常的な活動だが、例えば、集団での抗議行動や製品の不買運動などが業務妨害とされて、その協議をすることが共謀罪に問われかねない。自由にものが言えない世の中になり、市民の声を社会に届けることが難しくなる」

環境や人権問題に取り組むピースポートの活動にも支障が

「(活動への支障という点で)共謀罪の対象にされる可能性があるということで、NGOやNPOに参加して活動しようという人が減るのではないか。世界各地のNGOパートナーや現地の人々と、環境や人権などさまざまな問題に取り組んできたピースポートの活動にも大きな支障をきたす。日本でもようやく定着してきたNGOやNPOの活動が萎縮してしまい、市民活動の活力を奪うことになる」

政府の都合で「正当」か否か決める危険性ないか

また、「(正当な目的の団体や活動には適用されないとするが)正当な目的を持つ団体かどうか誰が何を基準にして決めるのか。法律に明記されなければ納得することはできない。政府側の都合のいい団体だけが正当な団体とみなされ、反対意見を言う団体は正当でないと判断される危険を感じる」と、語っています。

さきの大戦の経験生かし、日本の進むべき真の道選ぶ

社会正義と大きく構えなくても、今日、さまざまに噴出する社会の不条理を前にして、「怒る」こともできない市民に、追い討ちをかけるように、「共謀罪」のような市民を締め付けかねない法制化が進んでいます。そんな時代だからこそ、また、先の大戦を経験した日本だからこそ、次世代、次々世代のためにも、今後一層進む世界のグローバル化のためにも、偏狭なナショナリズムを廃して、民主的な日本の進むべき道を選択していかなければなりません。そうした上で、かつて新聞紙上で紹介された記事ですが、再掲させて頂いて内田樹さんや荷宮和子さん、櫛渕万里さんらの声に耳を傾けたいと思います。

未来への希望を抱いて(66)

私たち国民の責務【その21】

市民による「互助・互恵の輪を広げて……①」
世相を喝破「牧太郎の・大きな声では言えないが…」

毎日新聞の夕刊で連載されている専門編集委員の「牧太郎の『大きな声では言えないが…』」で、5月23日の「靖国より金力格差だ!」は、今日の世情をわかりやすく喝破されていました。お読みになった方も多いと思いますが…。
すなわち、「日本人は総じて貧しくなった。生活保護世帯は06年1月には約105万世帯。5年間に25万人も増えた。学校給食費が払えない子どもたちが全国で134万人(04年度)。国民健康保険の保険料が払えず資格証明書を交付された人が30万人(同)。4年前の3倍である。/リストラで正社員が減り、非正社員が日本人の労働者の3割になった。その平均月収19万円。パートの若者は結婚できない。/『不良債権処理に成功した』と小泉さんは胸を張るが、実は、この新貧乏人が不良債権を処理した。バブル崩壊以降の金融緩和政策で家庭に入る『金利』という所得は金融機関・大企業に移った。その額は91年から04年の13年間で304兆円。その結果、4世帯に1世帯が貯蓄ゼロになった。/乱暴な構造改革が『貧困』という最悪の構造を生んだ。(略)新聞社のトップは『新聞が売れないのは活字離れ』と思っているが、月収10万〜20万円の家庭が新聞を定期購読するだろうか」――と。

好景気でも過去最高を記録した労働紛争相談

このような世相を反映してでしょう。好景気でもトラブになった労働紛争相談件数は05年度、過去最高を記録したといいます。5月26日の毎日新聞によりますと、同年度、全国の総合労働相談コーナーなどに寄せられた労働相談件数は、前年度より約8万5000件増え、90万7869件(前年度比10・2%増)。解雇などの個別労働紛争の相談も17万6429件(同10・2%増)と、01年度に制度をスタートさせて以降、最高となった、そうです。また、相談に伴う地方労働局への助言・指導申し出、紛争調整委員会へのあっせん申請もそれぞれ20〜15%増えている、といいます。

解雇、賃下げ、いじめ・嫌がらせ、退職勧奨と続く相談内容
増えるパート・アルバイト、派遣社員の非正社員の相談

相談内容は、解雇が26%で最も多く、次に賃下げなど労働条件の引き下げ14%、いじめ・嫌がらせ9%、退職勧奨7%などだそうです。その相談者別では正社員が51%と最も多いのですが、なかでもパート・アルバイト18・2%、派遣社員11・3%と非正社員の相談が増えている、ということです。
それについて、厚生労働省は、パートや派遣などの非正社員が増える中で、労働組合がないケースがほとんどの非正社員の相談が増加し、好景気でも解雇などのトラブルが目立っているから、とみているようです。

個別労働紛争解決目指しスタートした労働審判制度

ところで、4月9日の毎日新聞社説「労働審判・もう泣き寝入りはしないで」では、「賃金の不払いや突然の解雇など、働く人と会社の個別労働紛争を迅速に解決する『労働審判制度』が今月(06年4月)からスタート」したことを伝えています。
社説では、「民事訴訟、都道府県労働局の個別労働紛争解決という従来の解決制度に加え、新たに労働審判制度ができたことで、労働トラブル解決のための手段が複線化した意味は大きい」と、トラブル解決までに従来と比べて格段に期間が短縮されたことなどを上げています。

期待したい労働者救済で真に機能する制度に

また、「日本では従来、労組と会社の集団的労使紛争が多かったが、労働運動の衰退や労使関係の成熟化などによって、最近ではめっきりと減った。それに代わって解雇や賃金問題など、会社と労働者個人の個別紛争が増えてきた。このため個別紛争をスムーズに解決する枠組みの必要が指摘され、司法制度改革の一環として労働審判制度の創設が決まった」ということです。
労使間のトラブルによる労働紛争相談件数が、前記しましたように、今日、著しく増えています。それというのも、規制緩和がもたらす激しい競争社会で、正社員のサービス残業や長時間労働、パートや派遣社員などの非正規社員の増加などから、はからずも「負け組み」になってしまった弱い立場の労働者の救済に、この制度が真に機能するよう願うばかりです。

内部調査で組織運営からも退潮くっきりの労組

労働者が頼りとする現在の労働組合はどうか――。これは労働組合のナショナルセンター連合と連合総研が、労働組合費などに関する調査結果を「労働組合員リストラ進む」の見出しで、「労組の組織率が20%を切る中、組合員の減少で組合役員のリストラが進む状況が浮かび上がった」――と、毎日新聞(5月24日、朝刊)が紹介していました。
隔年実施で、昨年12月から今年1月にかけて行った590組合と産別39組織の回答結果は、「組合費は月額5107円(前回・5177円)と70円も減額。組合費を引き下げたのは15・3%で、引き上げた4・4%を上回った。役員体制では、専従と職員数が1組合あたり16・6人(同19・2人)に減少した。ストライキ資金に関しては、17・8%が『制度がない』と積み立てておらず、制度のある所でも約2割が『積み立てていない』と回答した」というように、昨今、労働環境の劣化が多く伝えられる中で、不本意な労組の退潮が進みつつあるようです。

見直そう職場に地域に全国に助け合う互助の社会

暉峻淑子さんは、前回紹介したなかで「豊かさの条件を作り出していく経済を、人々は『人間の連帯経済』とよんでいる。/二一世紀の私達の課題は、グローバルな競争にあるのではなく、また武力によって解決することにあるのではなく、助け合う互助にあることは明らかなのである」と書いていました。
一人ひとり、個々別々では弱い市民も、職場にあっては労組や仲間たちが手を合わせ、地域ではNPOなどを核に、地域社会に民主的な連帯のあるコミュニティとしての息吹を吹き込み、それが暉峻さんの言う「人間の連帯経済」に通じるかどうかは分かりませんが、こうして職場や地域社会から全国的に、人々が助け合う互助の関係を作り出すことの必要性と、それに同調する人の輪をいかに広げていくか、それが、この国の今後の大きな課題だと思います。

未来への希望を抱いて(65)

私たち国民の責務【その20】

カギにぎる「国民の政治への参加――⑦」
競争原理とは質的に違う人間社会のもうひとつの原理

今回も引き続き、日本社会があいまいにしたり、失ってきた「共同の領域とは何か」について、『豊かさの条件』(暉峻淑子著『岩波新書』)から引用・勉強させてもらいます。

豊かな生命力もたらす経済と政治に組み替える

同書で暉峻さんは「私はこの本で、競争原理とは質的に違う人間社会のもうひとつの原理を提起してみた。これまで日本が追い求めてきた『即効性ある収穫高』ではなく、生命の源になる土壌を豊饒にし、植物の根をしっかり張らせるような、豊かな生命力をもたらす経済と政治にくみかえていくべきだ、との考えからである。それは人間のための経済になることを意味する。/競争と力による解決ではない。『もうひとつの世界は可能だ』という地球市民のうねりは、今、現実に世界を動かしつつある。そして足元を見れば、日本の社会の分権化の中で、お任せ主義でなく、一人ひとりが知恵を出し合い、協力し合って政治を変えようとする市民運動もまた確実にひろがりつつあることを感じる」(同書「あとがき」242頁)と書いています。
思えば戦後日本は、「所得倍増計画」のもと、高度経済成長路線をひた走り、かつてのGNP信仰から、今日のGDP拡大路線を今に至るも一貫して突っ走ってきました。そしてそこには、国民生活の真の豊かさという考え方より、国際競争に負けない強い経済とその拡大に鋭意力点が置かれ、結果、経済では世界第二の経済大国となり、市場に物はあふれ確かに物的には豊かになりましたが、一方で無理な経済成長は悲惨な公害を全国に拡大し、国民生活は終りのない経済競争で疲弊してしまった、というのが実情ではないでしょうか。それだけに、暉峻さんの以下の「豊かさの条件」は、これからの日本社会のありようを、示唆する指標ともいえましょう。

コミュニケーション能力とは相互に「共感する能力」

「テーブルのまわりに人々が集まり、福祉と平和を共有しようと努力しあうときに、人間と人間の間をつなぐコミュニケーションの能力とはどんな能力なのだろうか。/一章や二章でとりあげた受験に強い能力ではないし、与えられた仕事をただバリバリこなす処理能力でもない。つまりエリートのもつ能力ではない。コミュニケーション能力とは、自分の考えを他人によくわかるように説明できる能力のことだ」
「まず、自分がそのことについて、十分に納得していなければならない。その納得が他者にとっても納得できるものであるためには、普遍性をもつ内容であることが必要である。そして相手に理解されるためには、相手への配慮と相手を理解することもまた必要である。ただ一方的に主張するだけでは、理解されることはない。相手の意見をきく必要である。ドイツの教師は学力のひとつに『共感する能力』をあげていた」

子ども達には感受性や人間関係を豊かに創り出す教育

「日本の学校教育の中では、このような能力を伸ばす教育が行われているとは思えない。エリートを選別する競争教育がそのような力をつけるとは期待できない。また一クラス多人数学級では、そのような力をつける教育は難しい。/私達大人が競争と効率性を強要して、子どもから奪ってしまった自然環境と共振しあう感受性や人間関係が創りだす豊かさを、これからの子どもたちの教育に返していくことによってしか、世界の人々と連帯する能力は育たないだろう。教育基本法改悪がめざす国家と経済利益のための愛国心とエリート教育ではなおさらそれは不可能だ」

子供どうしで教えあい補い合う学びの共同体

「教育学者の佐藤学氏は『学びの共同体』という言葉を使っているが、私がドイツの学校で生徒とともに机を並べて経験したことは、日本の競争教育とは違ったこの学びの共同体だった。/子どもたちはできなければできないままに、お互いに足りないところを教えあい補い合っている。刺激を与え合ったり、まねし合ったりして共に育っていく。子どもはもともとそういうものなのだ。先生から教えてもらうよりも、子どもどうしが教えたほうが、たとえば、鉄棒の逆上がりもすぐにできるようになる。私は長年、学生を相手に人生を過ごしてきて、この分かち合い助け合う人間の相互性に感動することがしばしばだった」

人間社会の本質は助け合う互助と互恵の社会

「もし人間社会の本質をグローバルな競争社会であると考えたら、私達は競争を当然と思い、社会の閉塞を打開する道をよりいっそう競争促進に求めることになる。競争のためなら競争の邪魔になるものを排除し、競争に勝つことに資するものだけを評価するようになる。/しかし、もし人間社会の本質を助け合う互助と互恵の社会だと考えたら、修復不可能な自然破壊を食い止めようとするだろう。八億もの途上国の人が餓死するような経済競争のグローバル化に質的な転換を求めるだろう。過労死や非人間的な労働環境をもっと自然なよろこびのある協同の場に変えようと労働組合も動き出すだろう。子どもの教育を競争から、多様な創造性とあふれるエネルギーによる学びの共同体に変えようとするだろう。人々は福祉と平和の実現こそ、本当の人間の目的であると考えるだろう」

旧くは無言貿易にもあった互助互恵の原理

「もともと市場経済は互助互恵の原理を持っていたのだ。相手の資源を闘争によって奪い合うのではなく、商品交換という方法で特産物を交換し合い、その交換のルールを決めていく市場の発達によって人々はより豊かな生活資料を手に入れることができるようになったのだ。新井白石の『蝦夷志』は、言葉の通じない本土と蝦夷の間にも無言貿易があったことを興味深く紹介している。無言貿易はアフリカとヨーロッパの間にもあった」

先進国が便利と安楽を求める浪費の全体主義捨てて

「先進国どうしで相手の企業をつぶしあうよりも、欠乏の中にいる途上国にも豊かさが共有できるようにすることが、地球に平和をつくることであり、新しい需要を作り出すことでもある。/先進国が便利と安楽を求める浪費の全体主義を捨てて、共に助け合う生活に転換することによって、引け目を感じない豊かさを実現できるだろうし、大人は子ども達に二一世紀のヴィジョンを描いてみせることもできるのではないだろうか」

「人間の連帯経済」とよぶ豊かさの条件作り出す経済

「助け合ってきた人間社会の領域、つまり市民的公共性に光を当てることによって、『人間社会とはもともとそういう社会だったのか』と再発見することがたくさんあるような気がする。過労死するほど働いて利潤を失い、失業者やホームレスを出し、子どもを不幸にし、地球温暖化も戦争も止められない。そんな世界に別れを告げ、安心の中から人間の自由な創意が発揮され、福祉をもたらす技術や産業が生まれていく。それが豊かな社会の条件ではないだろうか。/世界の人々と共に生きようとする高い資質の知は、人間にとって真の資本である。新自由主義の市場経済に対して、豊かさの条件を作り出していく経済を、人々は『人間の連帯経済』とよんでいる。/二一世紀の私達の課題は、グローバルな競争にあるのではなく、また武力によって解決することにあるのでもなく、助け合う互助にあることは明らかなのである」
(暉峻淑子著『豊かさの条件』236〜242頁より引用)