未来への希望を抱いて(68)

私たち国民の責務【その23】

市民による「互助・互恵の輪を広げて……③」
「“野党”よ 永遠なれ」と浜 矩子さん

毎日新聞(5月7日)「時代の風」で、浜 矩子さん(同志社大学教授)が、「グローバル化と体制翼賛」「『野党』よ 永遠なれ」の見出しで、書かれていました。
まず、昨秋のドイツの総選挙と、4月のイタリアの総選挙の結果からいずれも勝者敗者が拮抗し、ドイツは与野党で大連立政権が誕生。イタリアではそこまでいかなかったものの、混迷を深めいっそのこと大連立を、と模索する声まで、識者やメデアの中から出たほどだといいます。
「世は次第に大連立を是とする方向に流れているようにみえる。日本の場合には、与野党いずれもそれぞれが既にして内なる大連立のようなものである。こうして政治の相対的なグレーゾーン化が進むのはなぜなのか」と。

野党的なものが存在しない日本の不気味さ
野党が荒野に叫ぶ「王様は裸だ」の声こそ必要

そして、「大連立と翼賛政治とが同じものだと考えるのは乱暴過ぎるだろう。だが、野党的なものが存在しない社会は不気味だ。野党的存在とはなにか。それは荒れ野に叫ぶ声だ。その声は何を叫ぶか。それは「王様は裸だ」ということだ。王様が裸であることを指摘するものがいなくなり、大連立の中で、誰もが必死で裸の王様がまとう衣のいつわりや華やかさを喧伝するようになっていいのか。こんな安直なやり方が、グローバル時代という新しい環境への解答なのか」と、言うのです。
確かに日本の国会では、昨年9月の総選挙で巨大与党が出現し、野党第一党民主党も、与党と政策の上で大きな違いはありそうには思えません。むしろ「小泉改革」で「改革の本丸」と位置づけた「郵政民営化法案」をめぐる自民党内の対立の方が、熾烈を極めたのは周知の通りです。

共謀罪民主案丸のみしようとした自民の奇怪

ところで、前回は、結局今国会での成立は見送られたものの、市民の側からみた「共謀罪」成立の場合の危惧を紹介しましたが、ここでは、国会の場における、昨今の「共謀罪」新設の組織犯罪処罰法改正案をめぐる自民党など与党の奇怪な動きをとり上げてみたいと思います。それは、今国会成立を目指す与党・自民党は、民主党案を「丸のみ」しようと、したからです。
毎日新聞(6月2日)によれば、「5年をこえる懲役・禁固の国際犯罪に限定」という民主党案に、それでは「国際組織犯罪防止条約に違反する」と政府・与党は反論してきたからです。そして、識者の言葉を次のように伝えています。

民主党修正案でいいなら国会の政府答弁は虚偽答弁

「『民主党の修正案でいいというなら、これまでの政府答弁は虚偽答弁だったことになる。その政治責任をはっきりさせるべきだ』と批判する。さらに政府・与党が海外の事例をほとんど調べてこなかった点にふれ『国民の権利に影響し、刑法の体系を根本的に転換する法案であり、成立を急ぐのは間違っている』」と、日弁連国際立法対策委員会の海渡雄一副委員長。

与党の丸のみは共謀罪がどうにでも使えることの暴露

「与党が突然丸のみすること自体、権力側が共謀罪をどうにでも使えるという本質を表している。国際犯罪に絞っても、国際的に活動するNPONGOは多く、活動はやりにくい。廃案を求めたい」と、NPO法人グリーンピース・ジャパンの星川敦事務局長。

対象罪種300種は広すぎると民主党案も批判

「対象となる罪種は300にも上がり、広すぎる。共謀罪は、殺人や爆発物取締法など一般市民とかかわりの低い罪種に限定すべきだ。国際組織犯罪防止条約に加わるかも含めて見直したらいい。急いで成立させるほどの切羽詰った状況に日本があるとは思えない」と、民主党案に批判的な元東京地検公安部検事の落合洋司弁護士。

国民投票法案の多くは民主と一致と自民憲法調査会

また、改憲やその場合の改正手続きを定める国民投票法にしても、政府・与党と野党の民主党がともに同じようなスタンスをとっており、生活者である市民の目からみて、民主党が最大野党としての特色や、存在感を示しているとは思えません。
毎日新聞・6月2日の報道によれば、与党と民主党がそれぞれ提出した国民投票法案は、6月1日、衆院本会議で審議に入ったもようですが、民主党が早期の修正協議には応じない方針のため、成立の見通しは立っていない、ということです。しかし、「自民党保岡興治元法相(党憲法調査会顧問)は、趣旨説明で「幅広い会派間の合意で成立させたい」と強調し、民主党枝野幸男憲法調査会長も歩調を合わせた」と言いますし、また、「両案の相違点をめぐっては、この日も議論はすれ違いに終わり、共同修正へのハードルはなお高いまま。(だが)自民党の船田元・憲法調査会長は「(両案の)ほとんどの部分で一致している」と、(成立に)期待感を示したということです。

重要法案国民の側に立って熟慮されているか疑問

このような推移を知るにつけ、真に国民の側に立って熟慮したという姿勢が、共謀罪にしても改憲国民投票法案にしてもみえてきません。いずれも国民生活に大きな影響を与えないではおかない重要法案でありながら、審議といっても本質的な部分で国会の与野党の大多数があまり変わりばえもなく、政権の座をめぐる駆け引きだけに終始しているように思えてなりません。

反対も野党の使命、火花散る舌戦こそ意思決定の活性剤

再び、浜さんの記事に戻ります。「大連立政治とは要するに密室政治だ。本来であれば与野党に分かれて論陣を張っているべきものが、閉ざされた扉の向こう側で政策方針を決めていくのである」
「荒れ野で叫ぶ声はどうしても必要だ。反対のための反対に終始する野党はよくないといわれる。建設的な対案を提示するのが今日の野党だという発想も広がっている。それもいいだろう。だが、本来であれば、反対することこそ、野党たるものの使命だ。もっともらしく提示された与党の議論に対して、徹底反対の立場からあら探しを施す。そこで飛び散る舌戦の火の粉が、人々の判断と意思決定の活性剤となるはずだ」と。

国民の側にも戦う野党育てる責務が

そこで思い出すのが、昨秋の総選挙ですね。小泉首相は、選挙の争点を「郵政民営化」一本に絞り、「郵政民営化はあらゆる改革につながる『改革の本丸』」と単純化し、同じ自民党内でも反対するものは守旧派抵抗勢力と切って捨て、野党には対案もなくただ反対のための反対と非難し、すっかり小泉ペースに載せられてしまいました。これはやはり、浜さんが指摘するような、野党本来の姿勢に欠けるものがあったということでしょう。と同時に、生活者である国民の側にも、戦う野党を育てていくことが、民主的に政治を育て、活性化させる上で欠かせないことを知るべきでしょう。