「日本の教育」識者の見解(5)

使われる人間しか育ててこなかった日本の教育

作家の吉岡忍さんは、近頃の若者たちについて「若年層の10人に1人が失業中だ。学校にも仕事にも研修にも行っていない、いわゆる『ニートな若者たちに、私もときどき旅先で会う。彼ら1人ひとりは、私ほど露骨な言い方をしないけれど、使われる人間の窮屈さや哀れな末路をたくさん見聞きしている。なぜ無理をしてまで世間に加わらなければいけないのか、とためらっている。私はこの感受性を健全だと思う。だが、彼や彼女たちの多くも自力で仕事ややりたいことを作りだす自信に欠けている。ここにもあいかわらず使われる人間になることしか教えていない学校教育の欠陥が露呈している」(「日本の教育『自ら動く人間』育てよう」1月15日、朝日新聞・私の視点」)と、書いています。

社会に接点やつながり持たない人間の哀しさ

吉岡さんは、学校は誰かに、また何かに使われるためのトレーニングの場にすぎなかったのではないか、というのです。使われる人間は孤独で孤立化していて、リストラや倒産とか定年で辞めると、社会との接点はなくなってしまいます。そうしたおびただしい人々がこの国に増えていくのであろうことを憂慮するのです。それというのも、個々ばらばらで、使われることしか知らない人間は、社会の諸問題に対抗する手段さえ持ちえないからです。

「自ら動く人間」育つ社会づくりを

そして、自ら動く人間が育つような社会づくりこそ必要と考える吉岡さんは、「人が人を動かす人間社会の原理は、これからも変わらない。雇用や上下の関係のないところで、1人ひとりはどう動けるのか。そのステージを社会と呼べば、やっと私たちは社会を作り始めたばかりである」と、いっています。
学習指導要領見直しや全国学力調査の必要を強力に説く中山文科相らとは対極の教育観が、ここにはあります。