未来への希望を抱いて(64)

私たち国民の責務【その19】

カギにぎる「国民の政治への参加――⑥」
いまこそ生かそう、憲法で定める「主権在民」の精神

今回も引き続き、日本社会があいまいにしたり、失ってきた「共同の領域とは何か」について、『豊かさの条件』(暉峻淑子著『岩波新書』)から引用・勉強させてもらいます。
ところで、私は、このシリーズの終りに当たって、サブテーマを『私たち国民の責務』といたしました。この国民の責務は、いま自民党などの与党が主張する行き過ぎた国民の自由を戒め、上から与え、押し付けようとする「愛国心」や「道徳」などを意図しているものではありません。それは逆に現日本国憲法で定められている主権在民である私たちが、主権者としての認識も新たに、ときの政府の権力などに対して、必要な要求をしっかりしていけるようにしていくことこそが、『私たち国民の責務』だ、という考えから使ったものです。
ともすると私たちは、この憲法の持つすばらしさを軽視し、真に生かしきってこなかったつけが、いま来ているように思います。そして、それを考えていく上での大事な視点が、以下に引用した暉峻さんの『豊かさの条件』で示されているように思います。

互助と互恵の市民的共同体に組み替える政治が必要

「私達の安心と幸せは人間として助け合える一体感の中にあり、生身の人間がふれあって活力を与え合う協働の中にある。人間は個人的存在であると同時に、社会的存在であり、また同時に自然とともにある自然的存在でもある。これが人間本来の姿なのだ。/私達が世界の人々と共有している最も重要な共同体は、この地球の自然環境という運命共同体だろう。同時に世界中の市民が最優先で共有したいのは、平和と福祉の中に生きる権利である。そのためには日本の政治と国の財政を、人権を大切にする互助と互恵の市民的な共同体に組み替えていかなければ、国際社会に対しても同質の貢献はできない」

戦争や自然破壊事業に向かわない国民の監視が必要

「私達は選挙と税金で現代の「われわれの共有地」をつくった。公私の別とか公私の対立というけれど、もともと公共とは私たち自身の集まりであるにすぎない。ところが、助け合う社会を実現するはずの「市民的公共性」、つまり政治や財政が、戦争や、ダムや干拓などの自然破壊の方向に、あるいは平和憲法否定の方向に向かうと、運命共同体の中にいる国民全員がその中に巻きこまれることとなる」

公共の場でひとつの意見しか出せないようでは独裁社会

「思想家ハンナ・アーレントは、公共とはテーブルのまわりに多様な意見を持つ人が集まって、ある共通のテーマについてさまざまな角度から討議しあう場だと言っている(『人間の条件』)。その公的領域は、すべての人が見ることができるように開かれた場――つまり完全な情報公開が行われるところである。公的領域が、あらゆる角度から開かれたものであるのに対して、私的生活はプライバシーの尊重に象徴されるように、隠された領域である。/公共の場にひとつの意見しか出ないようなら、それは独裁社会であり、私的な決定と同じだから、公共とは言えない。公開された中で多様な意見が交わされれば、人々の考え方も豊かになり、よりよい結論に到達できる。/哲学者ユルゲン・ハーバーマスもまた、市民的公共性とは公開性であると言っている。この公開性が実現されれば『支配そのものの性格が変わる』と言う(『公共性の構造転換』)」

民営化がかえって情報を秘匿し市民のものにならず

「日本では、規制緩和によって市場の枠を広げ、官僚主義を改革する方法として民営化が叫ばれている。しかし、民営化することによって、情報はかえって秘匿され、市民のものにはなっていない。市民が要求しているのは、同じ土俵の上であれこれの形式的な権力を分散委譲することではなく、権力的支配の根を掘り崩して市民的公共性に質的転換することなのである」

大事なのは政治に情報公開求める市民活動

「各地で起こっている情報公開を求めるオンブズマンの活動や市民活動は、私達の共有の領域を誰にも見えるようにすることによって、政治という共有地を本当の市民的公共の場にすること、そしてそこに市民を直接にかかわらせ、市民の手で動かせるものにすることをめざしている。権力者が市民の共有の場をほしいままにすると、公共は権力支配の道具になり、市民社会を滅ぼす道具となる危険性をもつからだ」

市民の公共の場に参加が情報の真偽見分ける

「私達は事実を知らなければ適正な判断もできないし、対案もつくれない。知る権利が侵されると、『よらしむべし、知らしむべからず』の諺どおり、権力によって世論操作されやすい社会になる。バルカン半島の内戦が戦争広告代理店の活躍の場となったように、現代は情報戦の社会で、世論操作に勝つ者が勝つ。市民が公共の場に参加し、運営にたずさわっていると情報の真偽も見分けやすい」

政治家や官僚が隠れ蓑にする審議会は賛成派ばかり

有事法制などの軍事化に人々が反対する理由のひとつは、軍事化がすすむと、国益の名を使った情報の秘密主義がますますはびこり、市民的公共性がそこなわれる、という点にある。現在、官僚が隠れ蓑にする審議会も賛成派ばかりを集めたものが多く、市民的公共性を体現しているとはとても思ええない」

新聞やテレビが無視してもインターネットが伝える時代に

ところで、「インターネットの発達によって、世界の市民が情報交換できるようになると、国際社会の情報は、国の専権事項ではなくなってきた。/社会の主人公はあくまでも人々である。新聞やテレビがとりあげないことも、インターネットで人々が知らせあう時代がきている。国際紛争を平和的に解決する努力を続けるNGO や、貧困からの脱出を支援する市民のネットワークは、それぞれの国の人民と行動をともにしているから、相手国の人々に信頼され助け合う仲間として市民のもつ情報を手に入れやすく、また積極的に情報を公開している」

国をこえて連帯し助け合う世界の市民は情報も共有する

「助け合う市民の連帯は、国をこえて情報の国際的な公共領域をもつことができるまでに成長したのだ。日本の国内でも、新聞が戦争反対の市民集会やデモをいっさい取上げなかったときに、多くの市民はインターネットや電子メールやつねづね機能しているネットワークの力で情報を共有した。国が秘匿する情報とは質が異なるものの、歴史がどの方向をめざしてうねりのように動きつつあるか、世界の市民は知ることができたのだ。/イラク反戦活動が時差のリレーのように、世界中の市民を巻き込み、国連での各国の意見に反映していったありさまは、新しい時代の胎動を感じさせた。そのとき、アメリカの強大な武力と経済援助をもってしても、国際世論を味方に引き入れることはできなかった」
(暉峻淑子著『豊かさの条件』230〜234頁より引用)