未来への希望を抱いて(52)

私たち国民の責務【その7】

競争プラス道徳や愛国心おしつける
実質・国定教科書『心のノート』

暉峻淑子著「豊かさの条件」からの引用です。
「子どものストレスがどこからきているのか、その本当の原因を改善しようとはせず、それどころか、競争に加えて、子どもに道徳や愛国心を外側からおしつけ、それでなお誘導し、内面からの体制順応操作をしようとしている」というのが、『心のノート』だというわけです。
そしてそれは、「教科書には検定があるが、02年4月から導入されたこの『心のノート』は検定も通さずに、文科省が直接につくり、配布し、強制的に使わせている。実質、国定教科書といっていい。/小学校一、二年生用の『こころのノート』には、『しっかりやろう』『ゆう気を出して』『ともだちとなかよく』『ありがとうがいっぱい』というような項目が並ぶ。整理整頓できた日は赤丸、掃除や勉強ができたらまた色ぬり、『あかるい気持ちでたのしくいっしょうけんめいにすごせた一日だったら』また色をぬる。『みんなのものを大切に。きちんとあとしまつ』『もっとすてきながっきゅうにするために、かかりやとうばんがんばってるよ』」

子どもたちはノートで毎日心を点検されて
ノートはエリートとその他の選別教育強いる

「一見してこれは、道徳・修身のおしつけだ。一冊の中に『がんばって』が四回も出てくる。/ある先生が『しっかりするってどんなことですか?』と一年生にきいたら、『目をパチパチすること』『電気がパッとつく』と答えた。子どもたちはノートで毎日、心の点検をさせられ、もっと追いつめられるか、ホンネとタテマエの二重人格者になるかだ」と。
ここでは、先に紹介した三浦朱門氏の「できん者はできんままで結構。戦後50年、落ちこぼれの底辺を上げることばかりに注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振る向ける。百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです」というこの言葉を、まさしく地で行っているということでしょう。
それはまた、暉峻教授の指摘する「子どもたちを一部のエリートとその他多数とにふりわけられ、エリートにはふんだんに国費を投入するが、『その他多数』の子どもの教育費は減らして、かわりに愛国心や公共の精神や道徳心、日本の伝統や文化の尊重を上から押しつけようとしている」という指摘。福武直氏の「戦後民主教育が反動的にゆがめられてきている。修身公民教育に代わった社会科教育は、再び修身公民的になっているといってよい」と言っているこの現実は、いま、教育実践のなかで着々と進んでいることを思い知らされます。

輝く自分、思いやりなど体験もなく身につかず
豊かな情操は交流経験、大人の後姿で育つ

『心のノート』のつづきにもどって、「学年が上になっていくに従って、かがやく自分、正直、思いやりや助け合いもでてくる。/だが、子どもは自分自身の体験を通してしか、自分の腑におちる道徳感情をもてない。『給食のおばさんありがとう』などと『心のノート』に書いてあっても、中曽根行革の効率化で、給食は自校方式から業者のセンター方式に変えられたところが多い。だから、どこでどんなふうにして給食が作られているのか子ども達は知らない」という次第です。
また、「有名校に行かなかった生徒は、ただでさえ就職が難しい時代に輝いていられるだろうか。『心のノート』は偏差値の低い学校に行くのも、全部自分の責任といっているようにみえる。/豊かな情操は、おしつけ道徳よりも、芸術や自然との交流経験によって、あるいは大人の後ろ姿によって育まれるものだ」と。

国を愛しましょうで終わる『心のノート』
健全な社会に必要な批判精神は育たない

「『心のノート』の著者は、子どもの良心の領域にずかずか入っていき、競争選別主義教育にも恨みや不満を抱かず、すべてを肯定するように心のありようを誘導する。社会をよりよく変革するには、批判精神と行動がいかに重要であるかにはふれない。そして結論は、国を愛しましょうで終わっている。子どもはいよいよ息苦しくなるだろう。これは、子どもの権利条約がいう『子どもの人格は全面的主体である』という思想とは根本的に異なったものだ」。

「日本人は自分を好きでないみたい」とドイツ大学生
自ら連帯し助け合う社会づくりが大事

このように、このさきまだまだつづきます。「ドイツに留学している日本人のことを、ドイツの大学生が『日本人はみな自分自身を好きじゃないみたいですね』と言ったとき、私はその言葉にドキンとしたことを覚えている。子どものときから他人と比べられてきた日本人は、ありのままの自分の価値を認めることができないので、『自分を好きだ』という自己肯定感情が薄いのではないか」と著者は書きます。
そして、本書では、この後も、子ども同士が互いに傷つき、傷つけ合ういじめは減っていないし、なかには学校にも家庭にも自分の居場所を見出すことのできない絶望の末、死を選ぶ子どもたちもいるという現実や、そこには大人社会の職場におけるいじめとも一脈通じていることを暉峻教授は指摘しています。そしてそれらは、私がここで断片的に本書から紹介するくらいたかが知れています。それだけにどうか、まだお読みでない方は、本書『豊かさの条件』を実際手にとってご覧になり、戦後、経済的には成功したといっても、必ずしも生き易い社会とは言い難い日本社会の実情をしっかりと認識して、これからのよりよい社会の実現に努力していくことこそが、真の「私たち国民の責務」と言えるのではないでしょうか。
暉峻教授は、その一つに、本書で「なぜ助け合うのか」という視点から、人々が連帯し、助け合うことの大切さ、必要性を上げています。
同教授が指摘するように、自主・自律の精神で、多くの人々の間に、連帯し助け合うことのできるような情況が各地で生まれていったとき、日本社会もまた、人間中心の新しい社会をつくりだしていく転機となることが、期待できるのではないでしょうか。
(「豊かさの条件」108〜111頁より引用)