未来への希望を抱いて(44)

現代社会の何処が問題か【その8】

75年の人生で政治が今ほどひどい時代ない

「私が生きてきた時間、親たちから聞いたり、小さい時の体験を含めてこの75年を振り返ってみて、政治がこんなにひどかったことはかってない、というのが今年の実感です」と、語る作家の澤地久枝さん。記者が澤地さんの自宅を訪ねたさいの優しいまなざしは、一転して鋭い光をたたえて……と、本橋由紀記者は、毎日新聞(05年12月27日、朝刊。「特集・WORLD『貫く・人なければ国はない』」)で、冒頭に書いていました。以下は、同記事からの紹介です。

先の総選挙結果にあきれ果てる
主権者の選挙民が政治判断生かせず

「総選挙の結果にあきれ果てたんです。この国は滅びるな、と思ったし、自分は何をしているのかという気持ちにもなりましたが、そこから気持ちを立て直しました。これで終わりじゃなく始まったんだという気持ちに、自分をきちっと置き直せたという意味で、大きく試された年だったと思う」と言うのです。
そこで、記者の「戦前よりひどいですか」の問に「もちろん。今は憲法があって、主権は選挙民の側にあり、私たちに自由選択の余地がある。そういう中での、この政治状況です。民主主義が根付くには一人一人が人権意識を持ち、自分の考えで政治判断をしなければならないのに、個の確立も弱かったわね」と、澤地さん。
有権者憲法自衛隊、福祉、年金など、問題は山積していたのに、衆院郵政解散、総選挙で、小泉自民党に空前の勝利をもたらしてしまった現実をまえに、澤地さんは「大事なタイミングだったんですよ。どこかで小泉さんに『あなたの政治の方向に賛成できません』と言わなければ、暴走するのは分っていたのに。マスコミ、特にテレビが果たした役割はとっても悪かったと思うんです。大声で乱暴なことを言う人が勝ちで、その人が言っていることが真理になったのよ。政治の根本が狂う時は、あらゆるものが劣化して腐っていく。怒るべき時は怒るべき、正すべき時は正すべきです。でも、みんなノーマルな反応をしない。そこまで追い込まれたのかと思うと悔しいし、複雑です」と。

「国がなければ人の生活ない」と政治家言うが
人がいなくなったら国なんてない

ところで、澤地さんが「昭和」を書きつづける原点が、14歳のときの旧満州中国東北部)での敗戦体験だったといいます。「このごろ『国がなければ、人の生活はない』という政治家がいますね。私が敗戦を迎えた時、国なんて一夜でなくなったわよ。人がいなくなったら国なんてない、見事にさっと消えたのよ。指揮官はいち早く南下し、在留法人は見捨てられました。置き去りにされた兵隊さんは、手もなく捕虜になったわ。一個人、一家族で生きていかなきゃならないわけですよ。何も保護してくれない。国や軍隊がどんなに無責任か。そのことが私の原点です」と。そういうその後の澤地さん一家の難民生活は、兵舎の残がいの一角で一年に及び、そこでの生活で中国人も朝鮮の人たちも人情があって助けられたといいます。しかし、母国日本は何もしてくれなかったと、少女時代の澤地さんの心に焼きついた、といいます。

バブル後の長い不景気が右傾化に拍車かける
アメリカ依存強める日本の政官財

そして、澤地さんが「一番ひどい」という『今』について。「あー右に振れる、右へ振れると感じていたわ、ずっと」と。それから経済が発展し、金が万能になって国民性までおかしくなり、バブル後「長い不景気で露骨に曲がり始めましたね。アメリカは日本をくみしやすしと思ったし、日本の政治家、官僚、財界人はアメリカにくっついて軍需景気があるのがいいと思ったのよ。潜在失業率がひどくても、世の中が悪いと怒るじゃなく、戦争でもやろうかという動きに惹かれている。戦争をしないと世界経済は動かないと思う人が増えたあたりで日本の大きな曲がり角へ来て、今年は曲がってしまったんじゃないでしょうか」と今日の社会の右傾化を分析します。

対抗策は政治に疑問もつ市民が心通わせ
九条の会」は改憲阻止で結集する市民を全国に

それについて、こころある人はどうしたらいいか。「おかしいと思っている半分以上の人たちと気持ちを通わせ、人のつながりを強化することです。人の心が重なれば、見えない砦ができる。それ以外に、こんな悪政の大洪水には対抗できません」と澤地さん。その実践のひとつが、04年6月に結成された「九条の会」。澤地さんは同会の呼びかけ人の一人として、憲法9条を柱に、改憲阻止のための市民グループを全国各地に広げようという活動を展開しています。
その「九条の会」について、「あの時、戦争は二度とやりたくないと思った気持ちに、あれ以上ぴったりの憲法はなかった。その扇の要の9条。人権、思想の自由もそのほかも9条がなくなったらバラバラになる。だから九条の会なんです。私たちは世界に誇ることをしているんだから悲壮になったりせず、にこやかにやっていくの。顏引きつらせ、髪振り乱す時代ではないから」と。そして、終わりは「より良くなると思わなきゃ、生きられないんじゃないかしらね」と結んでいます。

戦争で苦しむのは決まって弱い立場の庶民、国民
戦後60余年平和憲法あったがための繁栄忘れない

澤地さんの「人なければ国はない」は、澤地さんがかつて、少女時代に戦後戦地ともなった旧満州で体験した敗戦の思いは強烈で、「国なんて一夜でなくなった」という言葉の中にすさまじい当時の状況を思わずにはいられません。たしかに国とは、平和であってはじめて機能するわけでしょう。福祉や教育、安全・安心など国民にとって必要な施策は、平和な社会だからこそ可能なわけです。それだけに国は、普段から平和のために尽力していくことこそが使命でありながら、国防とか自衛といった言い方で、そこには危険な戦争へ通じる道を今歩み始めているように思えてなりません。
しかし、澤地さんは、悲観ばかりしていません。「良くなると思わなきゃ、生きられない…」という言葉の中に、たとえば「九条の会」などに集い連帯して社会を築いていこうという多くの日本人の良心に、まだまだ希望をつないでいるからでしょう。