格差広げる競争万能社会に立ち向うには(25)

【その3】

2冊の本『豊かさの条件』と『働きすぎの時代』から

「暉峻淑子著『豊かさの条件』」からの引用です。

三重苦負わされた日本の労働者
喜べない市場経済と競争社会の一元化

・働く能力があり、働きたいと望んで、必死に職探しをしているのに職がない。それは本人の責任ではない。
・もし家庭の中に全自動洗濯機などの機器が入れば、主婦の労働時間は短くなり、その分、ゆとりが生まれる。機械化は人間労働を軽減するためのものだ。/しかし、資本主義社会では、技術の発達が労働者の労働時間短縮に結びつかない。機械の導入によって、いらなくなった人手を解雇して利潤の増大をはかる。それだけでなく、資本は低賃金の国に工場を移転し、そのために本国の労働者は職を失う。さらに経済のグローバリゼーションによる多国籍企業化や合併によって、これまでは必要とされていた専門分野のエリートまでもが、職場から追放された。失業の三重苦である。
・痛みは責任のない失業者におしつけられて、個人の人生からみれば、取り戻すことが不可能な人生の価値の多くが、廃品同様に捨て去られているのである。社会主義国家の没落によって、いま、世界は資本主義的な市場経済と競争社会に一元化されそうな勢いであるが、その枠組が豊かさの条件を破壊するとしたら、喜ぶことはできない。

個人の人生と生活を犠牲にする國際競争第一主義
経済力の真の指標は国民の生活水準である

エンゲル係数で有名な統計学者エルンスト・エンゲル(1828〜96年。プロイセン王国の統計局長をつとめた)は、100年以上も前に労働者の家計を分析して、次のように言った。/「生産にかんしては、世界中で最も技量のある国民でありながら、同時に最もみすぼらしい国民であることもありうる。強力な国防とともに国家の破産が起こる場合もある。
最善の病院があるにもかかわらず、国民が貧困と窮乏のうちに病弱であることもありうる」/「各国の経済力は物的生産量などで比較するのは無意味で、経済力を現す真の指標は、それぞれの国民の生活水準、つまり福祉の測定としての生計費である」(『ベルギー労働者家族の生活費』1895年)。
・この言葉は、民主主義や人権の基礎が生活の福祉水準にあることを広く世界に認識させ、経済の活力もまた、自由と安全を基盤にした人間の活力なしにはありえないことを具体的な家計分析によって示した。いまの言葉でいえば、経済利益よりも、また軍事力よりも「人間の安全保障」が最優先される社会でなければ、持続可能な活力は生まれない、ということである。/しかし、國際競争に勝ち残ろうとする政財界は、個人の人生と生活の価値を犠牲にするこれまでどおりの方法で、いやそれをもっと激化した方法で不況に対処しようとしている。国と企業経営者の誤った判断の巻きぞえでバブルに巻き込まれ、次には不況のどん底に突き落とされた市民は、生活の見通しを失って、将来不安をかきたてられている。(「豊かさの条件」27〜29頁)

経済戦争、日本・国際的勝利に、ドイツ・労働者の向上に
失業対策、日本とドイツの大きな違い

・日本ではもともと、失業保険をもらっている人が、失業者の3分の1しかいない。事業主の約半分しか雇用保険に加入していないからである。また非正規職員(パート・アルバイト)のため社会保険に加入していない人もいる。失業者の3分の2が職を失った途端に無収入になるということは、働く人たちにとって、いわゆる雇用の流動化が、どんなに過酷なものであるかを物語る。
・ドイツでは、人間が経済の犠牲にならないように、また犠牲になったとしても生活を保障し再挑戦の機会が得られるように、さまざまの工夫と努力をこらしている。日本では国際的な経済戦争に勝つことは、労働者を解雇すること、という結果になっているが、ドイツでは、経済競争に勝つことは、労働者の質を高めること、と考えられている。/だから、02年1月から職業安定所の担当職員をいっきょに2倍に増やした。その下には「トレーガ―」と呼ばれる公益法人があり、失業者の自助活動を支援している。(「豊かさの条件」29〜30頁)