教育の世界にも広がる格差(20)

「無償の善意に支えられ」の見出しで、毎日新聞(7月27日、「格差幻想 子どもの将来を買えますか」シリーズ6)では、「生活保護家庭」の子弟を取り上げていました。

失意の遺児らに手差し伸べるボランティア

大学生の真剣な叱責にうたれて

母親と2人暮らしのJさんは、中学2年の時、家賃が払えずアパートを出て、母親の切り盛りする居酒屋の倉庫で寝るようになったといいます。中学1年から不登校となっていた彼女は、居酒屋住まいで昼と夜が逆転し、カウンターの隅で拒食症のように食べていたそうです。
そんな時、「大学生がボランティアでみてくれる」という、生活保護家庭の中学3年生を対象の勉強会に参加しました。ある日、勉強をみてくれる女子大生に雑談を注意されて反発したところ、逆に「なんで自分のことをきちんと考えないのか」と怒られ、冷え込む夜、自分のことをこれほど真剣に意見してくれる人に接したのは初めて、と反省したそうです。
翌春、Jさんは都立高に合格して、17歳になった高3の今、学校では大学進学の話も出ているところだそうです。

学習ボランティアで逆に教えられたと東大生

官僚希望変え仕事探しながら勉強会継続中

東京・江戸川区の区民会館で開かれる「江戸川中3勉強会」は、週1〜2回、無償学習会として続けられ、18年目になるそうです。勉強会には、約20人の中学生が、大学生や社会人と長机で顔を寄せ合い、書き取りや算数の勉強を学ぶ場になっているのです。
その勉強会に、6年前、東大1年だった Kさん(24)も参加しました。しかし、話を聞かない子どもたちに「死んじゃえ」とののしられたり、進学予定の少女が入試間際になって「親が家を出て受験どころではない」……などの事態に直面。「自分たちが子どもに育てられている」と思ったKさんは、文部科学官僚になることも考えていましたが、 国家公務員試験を受けないまま今春卒業。勉強会を続けながら仕事を探している、というのです。

娘の専門学校進学を果たした母親の執念

ケースワーカーの「絶対だめ」を説得し

高校3年の長女が、専門学校に進学を希望しましたが、「論外。絶対だめ」と、福祉事務所のケースワーカーは声を荒げたといいます。
生活保護世帯の子は、働くのが当然、というのがワーカーの言い分で、昨秋のことでした。それでも母親のMさん(49)は何度も話し合って、福祉事務所は非を認め、長女はアルバイトをしながら、専門学校に通うことができたそうです。
Mさんは、10年前、夫と経営する水道会社が倒産。4人の子供を連れて離婚しました。生活保護を受けるようになり、病気のため内職も続かなかったMさんですが、かつて私立高校時代、親に遠慮して大学進学をあきらめ、保育士の夢を断念した過去の苦い経験から、食費を削っても娘の夢を応援したい、という強い思いがあったというのです。

保護家庭の子どもらに未来託す夢与えよ

生活保護世帯は、昨年10月に100万世帯を突破しています。高校進学率9割を超える時代に、授業料などが保護世帯の給付対象になったのは、やっと今年度からでした。しかし、子どもが18歳まで受給できた母子加算は、15歳までしか受けられなくった、と毎日新聞教育取材班は、コメントしています。生活保護世帯が、子どもたちに託す新しい力の源泉を、余りにも軽くしか見てこなかった福祉行政の貧困さを思い知らされます。

生活保護費の削減目論む厚労省の地方移譲案

地方6団体は猛反発、新年度生活保護事務停止も

ところで、国と地方の税財政を見直す三位一体の改革の一環で、厚生労働省は突如、生活保護費の国庫負担率引き下げ案を提示してきました。これに反対する知事会など地方6団体は18日、厚生労動省が引き下げ案を撤回しなければ、来年4月以降、新規の生活保護受給申請の受け付け事務を行わないと、同省に申し入れ(11月19日、毎日新聞)ています。
三位一体改革を巡っては、先には、文部科学省の義務教育国庫負担金8500億分について、すでに決着している地方への移譲を撤回し、今度は逆に厚生労働省生活保護費を地方に移譲することと合わせて、同省に割り当てられた5040億円の国庫負担金削減額を、高齢社会で増える生活保護費の抑制で埋め合わせようという次第です。文科省厚労省のいずれにしても国側の恣意的なこうした対応が、問題をこじらせる要因となっています。
生活保護制度が、このように軽々しく論じられ、国庫負担金削減のつじつま合わせに使われるということに、今日の福祉政策の貧困を思わずにはいられません。
社会保障制度審議会は、「貧困階層に対する施策として生活保護をとりあげ、これを社会保障の最小限度の最も基本的な要請と考え、国庫負担が最優先すべきもの」(福武直「社会保障論断章」129頁、東京大学出版会)として、位置付けています。
こうした社会保障の理念も、今の政治では反故にされつつある、ということなんでしょうか――。