「総合的な学習を推進する緊急シンポジウム」から(13)

制度スタートから数年、朝令暮改の教育行政を問う

地域の問題や町づくり、環境問題に欠かせない資源ゴミ回収――などに子どもたちが自主的に取り組んだ「総合学習の時間」の意味や意義を再確認し、広く社会に知ってもらおうと、「総合的な学習を推進する緊急シンポジウム」が、8月、都内で開かれました。財団法人さわやか福祉財団理事長・堀田力さんら3人が代表を務める「総合的な学習の創造的な展開を推進する会」が主催したものです。同シンポジウムの概要は、さわやか福祉財団発行の月刊誌『さあ言おう』(05・10)で特集されていました。ここでは同特集を参考に紹介させてもらいます。
『揺れる総合学習、子どもたちと日本の未来に活力を』の趣旨で、「総合的な学習の時間は、偏差値教育や知識偏重教育によって失われつつあった子どもたちの創造性や、そうした教育の狭間で荒廃する子どもたちの心の教育環境や福祉などの現代的な課題への対応等を推進することを目的に、小中学校では02年から、高校では03年から段階的にスタートした。(略)ところが制度がスタートしてからまだわずか数年の今、こうしたいわゆる『ゆとり教育』が子どもたちの学力低下につながっている、という声が噴出して、国はあっという間に大きく舵を反対方向に切り、かつての教え込み教育に戻る勢いである」(「さあ言おう」5頁)という危機感から持たれたシンポジウムです。そして、同シンポジウムでは、子どもたちから、総合学習の多彩な実践経験が発表されました。

総合学習の多彩な経験、考える力育む

佐賀県の県立高校3年のT君。中学時代の総合学習の時間で、3年間、自分の町について調べました。しかし、やってみて知らないことも多く、地域の人の手助けが必要で、自ら聞かなければ答えてもらえないことがよくわかったといいます。 改めて自分を見直し、高校に入ってからは、自分から進んで行動するようになった、と発表しています。
横浜市立中学1年のY君。小学校時代の総合学習で、クラスで夏休み中にアルミ缶1200kgを集める目標を立てました。終ってみるとそれを超える1214kgを集めることができたそうです。それを換金して、車椅子を町の老人施設などに贈ることができました。
私立中学に進んだYM君。(Y君らと小学校の同クラスでアルミ缶回収をした経験から)「総合」で学んで良かったことは、高い目標を立て、最後までやり遂げたことで自信がつきました。また、最初は簡単に考え、コンビニの店の前に回収箱を置かせてもらって回収すればいい、くらいに思っていたのが、やってみてそんな簡単なものではないことを知りました。
都内区立小学校6年のYY君。「総合」で、自分たちの町を調べてみて、点字ブロックが、目の不自由な人にとってはいかに大切なものかがわかりました。環境問題では、割りばしを1回使っただけで捨てるなど、木の無駄使いがもったいないなど、環境資源について考えるようになりました――、などと発表したみなさんは回想していました。

生徒と先生の信頼関係は教育の原点

先生の言葉で発奮した私たち

「『総合』は他の授業のように、困ったら先生が助け船を出してくれると思っていたら甘くて、『町づくり』を考えた時、先生は『この町に住んでいるわけじゃないからどうでもいい』と言いました。先生は私たちのやる気を引き出してくれるのがうまい先生です」(前出のT君)。
「一番印象に残っているのは、夏休みに空き缶をたくさん洗ったこと。きれいに洗わないと資源にならないから一生懸命洗いました。でも、中には空き缶を灰皿にしている人がいて、私たちは『大人になってもタバコは吸わない』と思いました」(前出のYM君)。
誰かが都合でできないとき、SOSを出すと、みんな真剣に考えてくれた。そして、すごく遠い地区の子が代わりにやってくれたりして、みんなで楽しく協力してやれた。あの時のクラスはいいクラスだった(前出のY君)――というように、総合学習を高く評価する子どもたちの声が相次いでいました。
「子供は親の背中を見て育つといわれる。ならばニート不登校、凶悪犯罪の低年齢化などの今の子ども社会が抱える深刻な問題は、歪んだ大人社会を映し出す鏡でもある。自ら喜びを求め、自ら考える力を持たせられない教育に何の意味があるだろうか。単に詰め込み教育の時間を増やして、学ぶことを好きにできる訳がない。自ら学ぶ楽しさなくして、どうして創造性が身につくだろうか。次代を担う子どもたちに、私たちはいったい何を望むのか。そしてそのためにどんな教育の機会を設けるべきなのか、我々大人にこそ、今『考える力』が強く求められている」(「さあ言おう」13頁)と、特集ではシンポジウムの最後を結んでいました。