戦後、野球などの球技が爆発的に流行りだす

一番人気はなんといっても野球

戦後になると、野球やサッカー、バレーボール、ドッチボール、ソフトボール、卓球などの球技が、堰を切ったように流行りだし、それまでの子供たちの遊びを大きく変えるような転換がおきました。
しかし、いずれの球技も、ちゃんとしたグランドや用具がないとできないために、多くは学校にいる間にやるのですが、学校もそう広いグランドなどなく、ボールや用具も少ない田舎の学校ですから、できる者は限られてしまいます。
そこで、せいぜいできるものといえば、帰ってから家の庭や道路で数人の仲間とするキャッチボールや、村の集会所などに備えてもらった卓球台でする卓球くらいでした。

野球用具なども手作りで

そのキャッチボールも、グラブもなく、布製のものを買ってもらえればいい方でした。買ってもらえない者は、手作りですませました。家の中から厚手の布を探し出し、グラブやキャッチャーミットに合わせて型を取り、縫い合わせた中に綿などを詰め込むのです。
こうして、キャッチボールをするのですが、そのボールも使い減らして、表面がツルツルになってもまだみんなで大切に使っていました。また、暴投などで草むらに入り込むと、みんな必死で探し出したものです。
戦後の何にもない時代、ボールやバット、また布製のぐラブでも、当時は結構高価な遊び道具でした。子供心にもそれをよく知っていたのでしょう、ボールなどの用具の大切さは、よく分っていました。

子供らにも遊びの文化があった

以上、子供たちの遊びのいくつかを書いてきましたが、それは、昭和30年ころまでは、全国どこの地域でも、普通に行われていた遊びだったと思います。
そして、地域地域で、より特色のある遊びは、各地にはもっとたくさんあったことでしょう。
まことに多彩な、このような子供らの遊びは、自然を舞台にした四季折々のものや、さまざまな工作物、創造する遊び、危険でさえある冒険的な遊びまで、実に変化に富み、また豊富でした。
このように、当時の子供らの豊富な遊び体験を可能にしたのは、親子関係とは別に、当時の子供たちのあいだで、上の子供たちから下の子供たちへと伝承され、それにその時代時代を反映する特色や創意工夫が加えられながら、発展していったからだと思います。
異年齢集団を核に、子供たちによる子供の遊びの文化が、地域には生き生きと息づいていたのです。