子供は遊びの創造主

私が知っているのは、昭和前半の時代ですが、そのころの子供たちは、こと遊びに関しては数え切れないほど無数の体験を持っていたはずです。
遊びの内容は、育った環境にも左右されますが、山里の子は山里なりに、海辺の子は海辺なりに、また都会の子は都会なりに、それぞれの地域の特色を活かした遊びを創造し、楽しんでいたと思います。

自然の恵み

中部地方の山里で育った体験をもとに、紹介してみましょう。春夏秋冬、四季おりおりの自然を舞台にした遊びは多彩でした。
山里の子供らは、山の緑が日一日と濃さを増してくると、待ちわびたように仲間を募って近場の山に出かけていきます。
そこには、咲き乱れる山ツツジの花やボケの若実、タケノコを細くしたようなイタドリの若芽などが彩りも豊かにたくさんはえていて、子どもらは用意してきた塩をポケットから取り出し、ツツジの花やボケの若実、イタドリなどに塩味をつけて食べるのです。
どんな味? まず共通して酸味があります。食べ方は、ツツジの花はラッパ状の花をねもとからもぎ取り、一緒にくっついてきた雄シベや雌シベなどを取り除き、5枚も10枚も重ねて、いちどに塩をすりつけるようにして食べるのですが、くせもなく歯触りも爽やかで、サラダにでもしたら、結構今でもいけるかもしれません。
ボケの若実は、直径2〜3センチくらいの丸い実で、もいでそのまま塩をつけて食べますが、カリッ、カリッと歯触りがよく、酸味に少し渋みがありましたが、口の中に残るほどのものではありません。
イタドリは、30〜40センチに伸びたなるべく太い直径3センチ前後のものを選んで、根元からポキッと折り、縦によくむける皮をむいて、長いまま塩をつけて食べるのです。しゃきっとした歯ごたえがあり、やはり酸味に塩味がよく合いました。
ところで、ツツジの花は、家の周りにもいっぱいありますが、栽培したものや、山で自然のものでも、紫や白などのものは食べませんでした。食べるのは、普通のありふれた朱色に咲く山ツツジ(正確な種類・品名は不明)の花だけ食べましたが、理由は代々子供同士の間で上から下へと引き継がれたものを継承してきたからだと思います。だから、それ以外のツツジの花が食べられないのかどうかは、分りません。
また、山菜取りも、子供にとっては遊びの延長でした。ワラビやタラの芽を探して藪の中を身軽に潜り抜け、仲間内で誰が一番多く取ったかを競い、いつもたくさん取る子は羨望と尊敬の目で見られたものです。
この山菜取りは、家でも喜ばれ、何時も親から叱られどうしの悪童も、この時ばかりは胸をはって帰っていきました。